「希望と現実の違いによる苦しみ(認知的不協和)」を解消するために、あなたは女性を侮辱したことはありませんか?
社会心理学という学問には、「認知的不協和」という概念があります。その概念とは、男女関係で説明すると「あの女性とお付き合いしたかった」けれども「結局フられてしまっておつきあいできなかった」という「希望と現実の違いによる苦しみ」のことを言います。
ここでは、学術的な用語を使わずに「希望と現実の違いによる苦しみ」というふうに表現したいと思います。
人はこの「希望と現実の違いによる苦しみ」=「認知的不協和」を解消するために、様々に「都合の良い解釈」=「正当化」を行ってしまいます。例えば、以下のようなものです。
- 「希望の大学に入りたかったけど、不合格で入れなかった」という「希望と現実の違いによる苦しみ」を解消するために、「大学名よりも好きな学問を学ぶことが大事だよね」と考えて自分を正当化する。
- 「あの女性と結婚したかったのに、結婚できなかった」という「希望と現実の違いによる苦しみ」を解消するために、「あの女性はきっと心に問題を抱えているに違いない」と考えて自分を正当化する。
- 「これからもずっと通いたいと思っている居酒屋から、自らの態度の悪さで出禁をくらってしまった」という「希望と現実の違いによる苦しみ」を解消するために、「あの居酒屋は汚くて衛生的に問題があるからいけない」と考えて自分を正当化する。
- 「尊敬する友人でこれからも仲良くしたかったのに、その友人から嫌われてしまった」という「希望と現実の違いによる苦しみ」を解消するために、「あいつはきっと陰で悪いことをしているに違いない」と考えて自分を正当化する。
このように、「希望と現実の違いによる苦しみ」=「認知的不協和」を解消、軽減するために「心が動き」ます。人の心の作用パターンの一つであります。不快に感じる度合いが大きければ大きいほど、その動機付けは大きくなり、さらにこれらの「正しくない正当化」への確信もより高くなるのです。
この「正しくない正当化」は「誤解」であり「間違いである」場合が多いわけですが、「希望と現実の違いによる苦しみ」が大きければ大きいほど、「あの人は犯罪を起こしたに違いない」とか「私を脅迫している」とか「あの人が引っ越したのはきっと悪いことをして逃げたに違いない」などと、ある意味「確信」しそれを外部に表現したりするものです。
外部に表現した時点で「侮辱」となり、民事事件にも刑事事件にもなるのです。これはストーカーをやってしまう人の「思い込み」に似ているところもありますよね。
読者の女性からのコメント
認知的不協和…どうでしょう。
人のせいにしつつ、人のせいにしてる自分に自己嫌悪してる感じでしょうか?
能丸二式からのコメント
確かに自己嫌悪する場合もありますよね。ただ、最終的に外部に表現してしまう場合には、男性の中に、ある種の「誤解」=「正当化」が確信にかわっていると思われますので、自己満足する場合が多いのではないかと思います。
さて、モテない男性は女性からフラれると、以下のような態度を取る場合があります。テキストでは「リベンジメッセージ」という言葉で表現しております。私が婚活支援会社とのおつきあいを始めた頃には、20代男性に多い現象だなと感じたのですが、様々なご意見を集めていくと、実は60代男性に最も頻繁に現れる現象だと感じています。以下のような事例は、実はたくさんあるのです。
以下、ご覧ください。ラインでのやりとりを掲載させていただきます。